三十路になった発達障害児の心に浮かぶよしなしごと

ADHDとASDを脳内に引っさげて今日もブレーキのないまま止まるかぶつかるまでアクセルを全開にするんだ。


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もう靴の踵を踏んでも怒られないんだ

お久しぶりです、たどっちです。

残念ながらまだ家族を手放せていません。 burnup-adhd.hatenablog.com

 

というかむしろせっかく高高度を維持していたはずの自己肯定感が壊れて、立て直しもままならず幼児退行しかけています。

夫が会社に行こうとすると引き止めたがる様子、まさに幼児ならんや。

いや幼児である。

反語表現ですね。

 

それでも一応母親との関係性について考察だけはそれなりにしたので、ぼんやり書きながらタイトル回収しようと思います。

結局のところ、私と母との関係っていうのは「既に理想的な親子関係の完成形が頭の中に出来上がっている母」と「それにほぼ無意識に合わせなければいけないと思っている娘」の組み合わせだったんだと思います。

なんというか、組みあがっているジオラマの中に「私のいるべき場所とポーズ」が指定されているみたいな。

それは「娘をしっかりしつける母親」だったり、「家事を覚えさせつつ分担する母親」だったり、あるいは「娘の発達障害を理解してサポートする母親」だったりといろんな変遷を経てはいるんですが、そこに「私の意見が反映されることはない」というのが問題だったのではないかと思います。

 

例えば、「なぜ学校からのお便りを言われないと出してこられないのか」を突き詰めることなく叱られたり。

家事分担は勝手に割り振られていて私の意志は介在しなかったり。

成育歴を見ても絶対これADHDだったじゃん!って思うのに、「病院でADHDの方が強いねって言われた」って言ったら「そんなことないでしょ」って笑いながら言われたり。

母よ……あなたの半分も一緒に過ごしていなかった夫(当時確かまだ恋人)の方がちゃんと見てチェックシート記入してくれてたぞ……私の自己評価より普通にADHD数値高かったらしいぞ……。

 

一度母と話し合ってみるべきかも考えたのですが、「あっこれ私が疲れ果てて『もういいよわかったそうだね☆』って目が死んだ笑顔で言い続けて、母親の中でだけ『長女とちゃんと話し合いができた』って実績が解除されるやつ……」って気が付いてしまって、そうか対話すら意味がなさそうか……と遠い目をしています。

 

で、なんか自己肯定感が壊れて幼児退行した。

 

つまりは私が「この人は私を理解しようとしてくれてる!」と勝手に決めつけている夫に対して半ば親の役割を押し付けつつ育て直しをしている状態だと思います。

ひどい話だ。

せめてかかりつけでカウンセリングを頼むべきだと思う。

でもなんか今までカウンセリングをちゃんと受けれた試しがないんですよね……なんか……相性かもしれませんけども……。

 

まあさみしいさみしいさみしいというじたばたした気持ちを、現実逃避から来る眠気に身を任せつつ考察していたらこんな感じになったのでした。

実際どうなんだろう、母親を交えずに父親と話し合うというか、意見を聞くのはあってもいいかなぁとは思いましたが。

ちなみに父親の影が薄いのは印象に残っていないというよりは、普通に父親に嫌な思い出がないからです。いや単身赴任してたから交流は母親よりは少なかったけど。母とは対称的な怒らない、叱るとしても声を荒げずに諭すタイプだったし、そもそういう意味で父親に叱られた記憶もないんですよね。妹達はあったかもしれない。

ちょっと典型的にいい子しすぎて反抗期をまともに迎えた覚えすらないので忘れました!

 

というわけで、母親が嫌いだったことに「靴の踵を踏むこと」があったんですよね。

もはや目の前で履いてるときだけじゃなく、跡がついてたことですら怒られた。

実際危ないとかあると思うんですけど、なんか、折り跡を見つけると怒ってくるのは普通に怖かった。

だって宅配便に出るときくらいちょっと踏んだりとかしてもよくないですか……そこで危ないほど私の足元は少なくとも当時は弱くなかった……。

 

で、ふと最近気づいたんですけど、スニーカーの踵がちょっと折れてるんですよね。

ああ、宅配便とか警察の見回りとか対応したときに、無意識に踏んでたんだなぁって気が付いて、そっか、ここでは踏んでも怒られないんだなぁ、と実感したわけです。

もはやこの家が私にとっての実家……アパートだけど実家……夫と2人暮らしだけど実家……大家さんのおばあちゃん優しいしな……。

 

そんな、30も過ぎて自分の組み立て直しをしている発達障害児の、ほんとによしなしごとなのでした。多分もうしばらくは組み立て直してきます。