三十路になった発達障害児の心に浮かぶよしなしごと

ADHDとASDを脳内に引っさげて今日もブレーキのないまま止まるかぶつかるまでアクセルを全開にするんだ。


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聞いてくれちゃんとバスに間に合うように家を出たんだ

で、バス停に向かって歩いていたら、目の前の通りをバスが走っていくので慌ててダッシュしてなんとか乗せてもらったんですよ。
一本前の各停のやつでした。
ほんと、間に合うように出たと思ったらこれだから!わざとじゃないから!!
ちなみにここから間に合うように軌道修正しようとするとだいたい裏目に出るのがポイントです。地下鉄乗ろうとしたら接続が完全にミスるとか。
というわけでフレックスタイム制をもっとフレックスにしたらいいんじゃないかという提案です。
いや今日は仕事関係ないんですけどまぁとりあえず。
フレックスタイムと言っても「コアタイムは来てね」とか「夜はダメね」とか割となんかこう、フレックスじゃないし……もっとせめて「1週間で40時間よろしく」って言ったら、7日間つまり168時間のうちどの40時間を労働してもいい、みたいなそういうのがですね。
ほんと集中を途中で切られるのも、集中できてないのに帰れないのもきついし、発達障害には睡眠障害を併発してる人も多いし。
あと30分遅刻したら30分長く残ればおっけー、とか、時間に関してはもうちょっとふわっとした感じで働けたら嬉しい。
フリーランスになればいいと思うかもしれませんが、職場で仕事するのは気が散らないのでそれはそれで必須要素なんですよね!
あーでもASDの要素が強い人達からしたら「予定した時にいないんですが!?」ってのが嫌かも知れませんね。うーん、誰かに住み良い社会は誰かの住みづらい社会。よくわかるですね……。

ちなみにうちの会社は残業勤務分も一分単位でちゃんと出るんですが、それをホワイトと見なすのはどうかと思うんですよね。いやリアルにありがたいのはもちろんですが。
15分単位でしか勤怠を管理しないのなら、そりゃ同じ遅刻するなら15分しっかり遅れてくるし、15分働くまでタイムカード押さないのが当然だと思います。その15分以内の労働してる時間、奴隷じゃないですか……。

目に見えないものの価値をなかなか認められないのは、日本人の悪徳の一つだと思います。労働力しかり。精神しかり、知識しかり、技術しかり。
もったいない、という価値観は確かに大切かもしれませんが、「物理的な損失を避けるために犠牲にした利便性」もコストであるってことを無視しているが故の考え方でもあるといいますか。

ぶっちゃけ生産性だけで言うと大抵の場合定型発達者に劣る発達障害者としては、全力で無駄として排除されることを拒まねばと思います。
私だって生きて楽しいことしたいんじゃい。

それでは今日は「本当は下書きしてた記事があるけど全然書き切れてないから今日は日記みたいな記事でお茶を濁す日」でお別れしましょう。サヨナラ!!