三十路になった発達障害児の心に浮かぶよしなしごと

ADHDとASDを脳内に引っさげて今日もブレーキのないまま止まるかぶつかるまでアクセルを全開にするんだ。


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芥川龍之介の『或旧友へ送る手記』から希死念慮についてだらっと考える

唐突な引用からスタートする今日のブログです。
醒めかけの酔っ払いのローテンションの成せる技であり文字数稼ぎではないとここに断言します。つかむしろ増える方が多いもん。

「君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエ(注1)の描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」

芥川龍之介『或旧友へ送る手記』より引用

注1:アンリ・ド・レニエのことと思われる。1864-1936、フランスの詩人。



てか世の中の人って希死念慮経験したことない人の方が多いの?本当?
私は小学校高学年の時から二十代前半まで宿業のように抱えてたんですけど。
最近だいぶ減りましたが、それでもなんかこう自殺って選択肢は『選択肢としては存在する』レベルであります。ゲームでもあるじゃないですかあからさまにこれ死ぬよな、みたいな選択肢。あれですよ。いやまさに選んだら死ぬけど。

で、「ぼんやりとした不安」、その中でも「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」って言葉は昔からわかるわー、って思ってたんですけど、それが何かというと「現状が満足なものではないけど、それが改善する未来が見えない」ということだと思うんですよね。
特に私は在宅物書きらしきこともちょっとやりましたけど、真面目に物書いて飯食っていこうと思うと締切を意識しない時間がないんですよ。常に追われ続けています。実際締切があるからまともに量が書けるんですけど、それでも何してても締切までに何しなきゃー、みたいな焦燥感もありますし、出勤する仕事よりもオンオフの区別がかなり曖昧です。
しかもそれが一生続き、生涯締切に追われないと生活できないとか考えると、それは確かにぼんやりとした不安にもなるかなと……ちなみに私は将来の不安とかじゃなく締切守れなさすぎて、人から金をもらって書くのはやめようと思いました。もう好きなものしか書かねえぞ。

とはいえ、フリーランサーかどうかに限らず将来への改善が見えないという事態はあって、自殺したくなるってのはそういうときだと思うんですよね。
いじめを苦にしての自殺だって、毎日いじめられるのがわかっている学校に行かなきゃいけなくて、しかもそれが卒業まで続くとか、学生からしたら永遠に近いものがあります。クラス替えまでの一年としてもきついし、割と生徒間コミュニティで標的が引き継がれることあるんですよね……。
てか人生80年のうち1年とか、100分の1より大きいんですよ!そんな長い時間いじめで嫌な思いしたくないですよ!
それこそ逃げ道があればいいんですけど、逃げ道がないと「死んだ方が楽では?」と考えるし、何だったら実行してしまうわけです。ちなみに「死にたい」と言った時に怒られたりするとさらに味方がいない気持ちになるし、「そういう奴は死なない」とか言われるのも拒まれた感じがするので、「そっかー……つらいよねえ……」とかそんな感じで話聞いてあげて欲しいと思います。私の感覚ですが。
ちなみに死にたいって言ってる人は、人につい言ってしまうレベルまで死に対する理性がすり減ってるので危険なことが割とあります。個人的には手首切るより口に出す方がやばい感じあります。
まぁ手首切るのもとりあえずちゃんといい精神科かかってしっかり相談してくれ案件ですけど。てか正気の人間は自分の皮膚をカッターだろうが何だろうが切ったりしません。たぶん。痛いし。ちなみに私は手の甲とか背中とかの身体の裏っぽいところより、指の腹とか手首とか首の前側とかがかなり過敏なので、手首は絶対切れる気がしません。そのくらいなら首の後ろから針刺した方がまだ……ちなみに人に刺されるのはいやです見えないから!注射も見えてないとすごく嫌なんです!!針ガン見です!

とにかく話が逸れまくりましたが、やっぱり現状への不満足とそれが改善する可能性が見えないという不安が希死念慮になりやすい気がします。
じゃあ今はあまりないのがなぜかというと、逃げることを覚えたからかなと。無論、症状自体が改善してきたのもあるんですが。

昔だったら「バイト行きたくないけど行かなきゃ……死んだら行かなくていいかな……」みたいな極論に生きていたのですが、実は先日仕事で異動がありまして、けど異動先のリーダーさんと相性がどうしても合わなくて、一週間で元のチームに舞い戻ったのですが。
今回私は「頑張らなきゃ」じゃなくて「これは頑張っても私の感じ方の問題だから無理」と見切りをつけた上で、元のチームに戻れないとしても異動先は出ていくという決意のもと行動しました。
元チームの先輩を頼ったのもそれですし、駄目と言われたら辞職をちらつかせてそれでも駄目なら離職も考えました。まぁすごくすんなり戻れたのでちらつかせもしなかったし、私もやめなくてすんだからすごくありがたいのですが!
しかしそれこそ、ダメだと思った時に「もう戻れないからここで頑張らなきゃ」と思いつめすぎなかったのと、素早く見切りをつけたのが今回の勝因です。あとそれこそ一週間しか経ってない、引き継ぎが完全に済む前で逃げたのはとてもナイスでした。

大人になると逃げ道は広がりますが、家庭があったり「3年は同じ職場で頑張るもの」とかの言葉に拘りすぎると逃げ道が減ったり、見えなくなったりしがちです。無論逃げるだけではなく戦うとかも必要な場合はよくありますが、少なくとも「我慢する」はだいたい悪手です。
てか我慢につけ込む奴らが多すぎるので、我慢したらしただけそいつらだけ得して自分が損をひっ被るとかも多いし。あと互いに我慢して削られていったりしますし。どうしようもなくなったら「とりあえず現状維持」が泥沼化する前に逃げても戦ってもいいからなんとか動くのがいい手段だと思います。

ちなみに変化のない日常ほど認知症の進みが速いそうです。あれも一種の脳細胞の死ではあるし、ある意味変化のなさというのは死に繋がるのかも知れません。何にせよ。
あと、芥川龍之介はあとの方で綺麗に死にたいから何はやだあれはやだ、と言いまくってますが、その厨二じみた気持ちは割とよくわかるので困ります。首吊りは楽だけど跡が……というあたりとか。
なお実際楽なので本当に気をつけてください。あれは血管を締めているので、ものの20秒とかで意識が飛びます。
酸素の供給が止まるので、生きて発見されたらむしろそこから脳が死んだ箇所だらけになるきつすぎる後遺症が待っています。
首吊るのは本気で死ぬ時にして確実に死ぬべき……。

最後になりますが、民俗学とか研究していた先輩の「殿中で刀を3寸抜いたら過失でもお家断絶、でも服を全部脱げば乱心ということで本人の切腹でお家は存続できる」という謎の知識をご紹介しておきたいと思います。
うっかり刀の鍔から親指を離してしまって、殿中で刀を鞘走らせてしまった皆さんに、サムライライフハックの一つとしてご活用いただければ幸いです。まぁライフハックってかデスハックですけれど!
それでは!