三十路になった発達障害児の心に浮かぶよしなしごと

ADHDとASDを脳内に引っさげて今日もブレーキのないまま止まるかぶつかるまでアクセルを全開にするんだ。


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発達障害と共に生きてもいないし戦ってもいないそれが私!

なんかこう、職場で「発達障害ゆえに浮いていると感じたことはありますか?」と聞かれたんですよ。確かもうちょっと踏み込んでたけど。
私は「自分が浮いている自覚はありますが、それによる忌避感や後ろめたさはありません」って答えたんですよね。
むしろ私は昔から浮いていたから、集団に馴染むという感覚がまだ理解出来ていないというか、浮いている状態が自然で、だからどうしたってとこはあります。
幸い今の職場は浮いててもほっといてくれますから不自由はないです。浮いてるとどうしても目立つから叩かれたりすると大変困りますが。
前置きが長かったですが、つまり私にとって自分の発達障害とは「その状態が自然であり、私である」という認識です。
だから「発達障害と戦う」とか「共存する」という発想はあまりピンと来ないし、「薬で治るなら飲みますか?」と言われても「治療の必要はないですが」と返してしまいます。
だから私が戦うとしたらそれは発達障害への差別や無理解、あと感覚過敏というかそれを引き起こす周囲環境に対してであり、発達障害と戦う気はないんだなー。
今のところ私は発達障害の特性を含めた自分の精神について、特に変更する必要を感じていませんし。既に判断基準の基幹は己の中にあり、判断に必要な情報を集めて分析するだけの思考力があり、人の心理に共感を試みるだけの感受性があり(試みるだけで成功するとは言ってませんが!)自ら知識を増やすだけの好奇心があり、日々を豊かに過ごす想像力があり、たまに蒸発するけどなんとか自制できて会社に遅刻しない程度の理性がある。うーん完璧。自画自賛
無論変化すること、進化することを忘れた場所にあるのは衰退でしかありませんが、自分が納得すれば自然に変わるでしょう。
無論私の精神に欠点はまた多く、けれど短所はまた私の美徳と関連していることも多い。ならば、最低限の修正でなんとかなるならそれでいいや、みたいな……みたいな!
てか私は精神病むまではこのくらい自信家だったからね!これが本質ですよははは!!

こうして……戦う相手を自分の内面から外へと移したら、生きるのやばいくらい楽になったので試してみてほしいところです。
難しいですけどさ!
自罰的なのは苦しいもんですからね!

なお理性が蒸発して五時まで起きてたお馬鹿さんは私です。
ちゃんとバスに乗れたのでお仕事行ってきます。